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浦和地方裁判所 平成元年(わ)617号 判決

主文

被告人を懲役一年六月に処する。

未決勾留日数中一一0日を右刑に算入する。

押収してある覚せい剤検査残量三.九七四グラム(ビニール袋入り、ティッシュペーパーに包まれているもの)(平成元年押第一五六号の1)を没収する。

訴訟費用中証人B及び同Cに各支給した分は、被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、法定の除外事由がないのに

第一  平成元年七月一一日ころ、埼玉県久喜市〈住所略〉ホテル「○○」二二一号客室において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンを含有する白色結晶性粉末約0.0二グラムを溶解した水溶液約0.二立法センチメートルを自己の左腕部に注射し、もって、覚せい剤を使用し

第二  同日午前一時五二分ころ、同所において、覚せい剤である塩酸フェニルメチルアミノプロパンを含有する白色結晶性粉末約四グラムを所持し

たものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(被告人の尿に関する鑑定書の証拠能力について)

一  弁護人は、埼玉県警察本部刑事部科学捜査研究所技術吏員作成の被告人の尿に関する鑑定書(平成元年七月一二日付嘱託に照応するもの)(以下、「尿鑑定書」という。)は、被告人がすでに任意の採尿に応じ、鑑定をするのに十分な量の尿を提出しているのに、病気の被告人を無理に押えつけたり殴打したりして強制的に採取するという、憲法三一条に違反する違法な捜査によって採取された尿に関するものであるから、いわゆる違法収集証拠として証拠能力を否定されるべきである旨主張している(もっとも、弁護人は、判示第一の事実は、その余の証拠のみによっても証明が十分であると認められるので右事実につき無罪を主張する趣旨ではない旨釈明してもいる。)。

二  そこで、まず、証拠に基づき、被告人から尿の強制採取(以下、「強制採尿」ともいう。)がなされるに至った経過をみてみることとするが、取調べずみの証拠(司法警察員作成の「覚せい剤所持被疑者の現行犯逮捕について」「被疑者甲野一郎の強制採尿について」と各題する書面、司法巡査作成の捜索差押調書(乙)、司法警察員作成の捜索差押調書(甲)及び捜索差押許可状請求書、裁判官作成の捜索差押許可状、証人A、同B及びCの当公判廷における各供述並びに被告人の当公判廷における供述)を総合すると、右尿鑑定書の資料たる尿の強制採取が行われるに至った経過の概要は、次のとおりであったと認められる。すなわち、埼玉県警察久喜警察署(以下、「久喜署」という。)の捜査官は、平成元年七月一一日午前一時五0分頃、覚せい剤取締法違反の嫌疑で、被告人の投宿する久喜市〈住所略〉所在のホテル「○○」二二一号客室を、予め裁判官から発付を受けた捜索差押許可状に基づき捜索したところ、同日午前一時五二分頃、同室内にあった被告人所有の背広上衣のポケット内から小物入れ在中の白色粉末一袋が発見され、予試験による覚せい剤反応も確認されたので、同日午前一時五八分被告人を覚せい剤不法所持罪で現行犯逮捕し、久喜署へ連行した上、同日午前二時二0分頃から、同署取調室で弁解録取の手続を行ったが、被告人は、「明日にしてくれ。」などと言うだけで被疑事実に関する陳述をせず、弁解録取書に署名・指印もしなかった。その後、同署に留置された被告人が、同日午前五時半頃に至り尿意を訴えたため、同署のA警察官が、被告人に対し、趣旨を説明した上で尿の任意提出を求めたところ、被告人は、渡されたポリ容器に同署便所内で排尿して警察官に提出した(なお、警察官は、右排尿の状況を写真に撮影した)が、ポリ容器への署名指印を求められたのを無視して帰房してしまった。そこで、同署においては、「更に被告人を説得し、鑑定の資料となる尿が被告人のものであることを確実に立証するため、最悪の場合は強制採尿もやむなし」との方針のもとに、久喜簡易裁判所裁判官に対し、被疑者の身体から尿を差し押えることを許可する旨の捜索差押許可状の発付を求め、同日右許可状の発付を得る一方、同日午前一0時すぎ頃、被告人を同署第一取調室へ連行した上、約一時間にわたり被告人を取り調べ、また、尿提出についての説得を行ったが、被告人がこれに全く取り合わず、相変らず黙秘の態度を続けたため、一旦身柄を房へ戻したあと、同日午後二時半頃、被告人を同署三階の道場へ連行して、午後二時三五分から四0分にかけて、医師Dの手による強制採尿を行った。なお、右強制採尿の際、同医師においても、被告人に対し、任意に尿を提出するよう再度説得したが、興奮した被告人がこれに全く耳を藉さず、係官から示された捜索差押許可状(強制採尿令状)を奪い取ろうとするなどの態度を示して暴れたので、同署係員は、数名がかりで被告人の身体を押さえつけて、制圧した。以上のとおりであると認められる。

三  そこで、まず、右事実関係のもとで、被告人の身体から強制採尿するまでの必要性があったか否かについて考えてみると、いわゆる強制採尿は、捜査手続上の強制処分として絶対に許されないものではないが、それが、被疑者の身体に対する侵入行為であるとともに屈辱感等の精神的打撃を与える行為であるため、被疑事件の重大性、嫌疑の存在、当該証拠の重要性とその取得の必要性、適当な代替手段の不存在等の事情に照らし、「犯罪の捜査上真にやむをえないと認められる場合」に、「最終的手段として」許されるべきものであるとされている(最一判昭和五五.一0.二三刑集三四巻五号五00頁)。ところで、前認定の事実によると、捜査官は、七月一一日午前五時半頃、被告人から任意にポリ容器内に排出した尿の提出を受けており、右排尿の状況を写真に撮影したりしているのであるから、その上に、被告人の身体から尿を強制採取する必要性があったか否かについては、検討を要するところである。確かに、前認定のとおり、被告人は、排尿した右ポリ容器への署名押印を拒否しただけでなく、逮捕以来の取調べに対し頑なに黙秘を続け、右署名押印拒否後は、警察官や医師による度重なる説得に対しても頑として尿の任意提出に応じないという態度をとり続けていたのであるから(また、A証言によれば、被告人は、尿を提出して帰房したあと、提出した尿は自分のものではない旨の発言をしていたとの由である。)、捜査官において、被告人が、後刻、ポリ容器内の尿を自己のものではないと本格的に争い出すことを予想し、かかる無用の紛争を未然に防止する意図のもとに、医師の手による強制採尿を実施し、採取された尿が被告人のものであることを手続上明確にしたいと考えたことにも、合理性が全くないわけではない。

しかし、鑑定資料たる尿と被告人から提出された尿の同一性を明確にするためには、必ずしも、「提出された尿の容器に被疑者に署名指印させる」ことが唯一絶対の方法ではなく(それが最も確実な方法であることは否定し難いにしても、)、被疑者が容器への署名指印を拒否したときは、これに代る他の方法(例えば、被疑者に代って捜査官が容器を封印した上、被疑者が署名指印を拒否した旨付記して右捜査官がこれに署名指印するとともに、別途、その状況につき明確、かつ、具体的な報告書を作成しておき、任意採尿の場合通常撮影される被疑者の排尿状況の写真とともに保管し、必要に応じて提出する等)によっても、尿の同一性を立証することが優に可能であると考えられ、かかる方法をとってもなお、尿の同一性につき裁判所が誤った判断に到達するというような事態は、事実上想定し難いというべきである。そして、本件においては、被告人は、一旦任意にポリ容器内に排出した尿を捜査官に提出しているのであり、また、捜査官は、排尿の状況を写真に撮影したと認められるのであるから、その後被告人が容器への署名指印を拒否したとしても、右に述べたような措置を講ずることによって、尿の同一性に関する後刻の紛争に備えることが十分可能であったと考えられる。従って、本件において、被告人が排尿した容器への署名指印を拒否したというだけでは、「犯罪の捜査上真にやむをえないと認められる場合」における「最終的手段」として、強制採尿が法律上是認されることにはならないというべきである。また、A証言及び司法警察員作成の「被疑者甲野一郎の強制採尿について」と題する書面によると、久喜署が被告人から強制採尿するに至った理由としては、被告人の容器への署名指印の拒否のほかに、被告人の提出した尿が検査の必要量を満たしていないという点があったとされているが、A証言によっても、被告人が提出した尿は、「一0ccに若干足りない位」とされていて、通常覚せい剤の検査に必要とされる量を優に上回っていたことが明らかであるから提出された尿の不足の点も、本件強制採尿を正当化する理由とはならない。

そうすると、本件強制採尿は、捜査官において、その必要性に関する判断を誤った結果、嫌がる被告人の抵抗を排除して強行した点で、違法であるというほかない。

四  ところで、違法な方法により収集された証拠物は、「証拠物の押収等の手続に、憲法三五条及びこれを受けた刑訴法二一八条一項等の所期する令状主義の精神を没却するような重大な違法があり、これを証拠として許容することが、将来における違法な捜査の抑制の見地からして相当でないと認められる場合」には、その証拠能力が否定されるべきであるが(最一判昭和五三.九.七刑集三二巻六号一六七二頁)、本件強制採尿は、裁判官の事前に発付する捜索差押許可状に基づくもので、令状主義の要請は、これを満たしていること、強制採尿実施の必要性に関する捜査官の前記のような誤った判断は、無用の紛争をできる限り防止したいという配慮に基づくものであるところ、排尿した容器への署名指印の拒否という被疑者の不可解な行動を前提とした場合には、第三者たる医師の手による強制採尿が、紛争を最も確実に防止する手段であることは否定し難いから、本件強制採尿は、何ら必要性がないのに実施されたというものではないことなどの諸点に照らすと、強制採尿の必要性に関する前記のような捜査官の判断の誤りは、いまだ、このことの故に、尿の鑑定書の証拠能力を否定しなければならない程重大なものであるとはいえない。

五  次に、弁護人の主張する強制採尿令状の執行方法の点について検討するのに、前記のとおり、本件強制採尿にあたっては、捜査官が数人がかりで被告人を押さえつけ、これを制圧した事実が認められるが、当時被告人が、示された令状を奪い取ろうとして暴れ、素直に採尿に応じていなかったことからすれば、採尿に伴う危険を防止するため、右の程度の実力の行使は、やむを得ないものであったと認められる。もっとも、被告人は、右に止まらず、「その際、警察官から殴打されたり蹴られたりした。その証拠に、殴られたあと、額にコブができていた。」旨供述するが、証人A、同B及び同Cらは、一致して、右のような状況はなかった旨明言しているところ、被告人の供述中には、必ずしも首尾一貫しない部分や不合理な部分が少なくないこと(例えば、被告人は提出した尿の容器に署名指印を拒否した理由として、「皆の見ている前で写真までとらせてあるから」とか、「調所へ担いでいかれたから」などと供述するが、前者の理由は、尿の容器に署名指印を拒否する理由としては必ずしも十分な合理性があるとはいえないし、後者の理由は、尿の任意提出時は、被告人が警察官に担がれていったという第一取調室における取調べより時間的に早いことが証拠上明らかであるから、明らかに不合理である。また、被告人の尿の任意提出及び強制採尿が行われたのは、被告人が逮捕された七月一一日当日の午前又は午後であることが証拠上明白であるのに、被告人は、右は、その一日後の一二日のことであった旨不可解な供述すらしている。)などをも考えると、この点に関する被告人の供述は、前掲各警察官の証言に照らし、にわかに措信し難く、強制採尿に際して行われた警察官の実力行使をいささか誇大に表現したものと考えるほかはない(なお、当時の被告人の健康状態についても、これが強制採尿に耐え得ないものであったことを窺わせる証拠は存在しない。)。従って、本件強制採尿の際の警察官による実力の行使は、これを実施するために必要、かつ、相当な限度を逸脱していたとは認められない。

六  なお、弁護人は、本件強制採尿に先だつ取調べにあたり、捜査官は、数名がかりで被告人の身体を担ぎ上げて取調室へ連行しているとして、右の観点からも尿の鑑定書の証拠能力を争うが、この点に関する弁護人の主張は、そもそも、本件強制採尿のための身柄の連行手続に関するものではなく、その四時間以上前に行われた、第一取調室への身柄の連行手続(取調べのためのもの)に関するものであるから、これが、採尿手続の適法性に影響を及ぼすとは考えられない(なお、右の連行方法の適否については、「量刑の理由」中において触れる。)。

七  以上の次第であって、本件強制採尿手続については、捜査官側において、その必要性の判断を誤って、嫌がる被告人を実力により制圧して行った違法があるといわなければならないが、右違法は、いまだ尿の鑑定書の証拠能力に影響を及ぼすものとはいえない。

(法令の適用)

一  罰条

覚せい剤取締法四一条の二第一項三号、一九条(判示第一の所為につき)、同法四一条の二第一項一号、一四条一項(同第二の所為につき)

一  併合罪加重

刑法四五条前段、四七条本文、一0条により、犯情の重い判示第二の罪の刑に法定の加重

一  未決勾留日数の算入

同法二一条

一  没収

覚せい剤取締法四一条の六

一  訴訟費用

刑訴法一八一条一項本文

(量刑の理由)

本件は、覚せい剤取締法違反罪又は同罪を含む罪により、既に三回懲役刑の実刑に処せられ、その都度服役した経験を有する被告人(ただし、右のうち、第三の罪は、第二の罪の確定判決前の余罪である。また、被告人には、他にも、恐喝、傷害、強盗等の懲役刑の前科八犯、罰金前科二犯がある。)が、今回またもや、覚せい剤水溶液を一回自己使用し、また、覚せい剤結晶粉末約四グラムを不法に所持したという事案であり、所持にかかる覚せい剤が相当多量であることのほか、右のような覚せい剤事犯の前科歴や本件犯行の態様等からみて、被告人と覚せい剤との親和性は顕著であると考えざるを得ないこと、被告人は、本件所持にかかる覚せい剤につき、「パチンコ店で遊技中、身許のわからない朝鮮人から貰い、何回か使用したあと、捨てるために持っていた」旨弁解しているが、右弁解は、約四グラムという多量で高価な覚せい剤を身許の明らかでない男から無償で貰い受けたとする点や、これを現に自己使用しながら捨てるために持っていたとする点などにおいて到底首肯し難く、被告人が、本件に関する真相を全て告白しているとは考えられないこと、更には、被告人の永年にわたる暴力団員としての活動歴及びその余の前科前歴等に照らすと、本件における被告人の刑責は、甚だ重大であるというほかなく、この種事犯に関する近時の量刑の傾向に照らすと、本件は、通常であれば、相当長期間の懲役刑の実刑を免れ難い事案であるといわなければならない。

これに対し、弁護人は、(1)被告人が既に六五歳という年齢に達しており、健康状態もすぐれないこと、(2)被告人の親族や家族には、社会的地位のある者や性格の善良な者が多く、いずれも被告人の将来を心配していること、(3)被告人が、本件において違法捜査の被害に遭遇したことなどの点を指摘して、本件については刑の執行を猶予するのが相当である旨主張している。

よって、検討するのに、右(1)、(2)の点は、ほぼ弁護人の主張するとおりであると認められ、これらの点は、量刑(特に実刑と執行猶予の振分け)においても、ある程度考慮に容れざるをえないであろう。しかし、右(1)の被告人の健康状態は、弁護人提出の「病状経過報告書」によっても、未だ服役に耐え得ないような深刻なものではないと考えられるし、(2)の保護環境の点は、被告人が、もともと右のような恵まれた人的環境のもとにありながら、永年暴力団員として活動し、多くの犯罪を重ねてきたことからも窺われるとおり、従前、被告人の再犯防止に必ずしも十分な役割を果たし得なかったものであるから、量刑上、これらの点に目を奪われすぎるのは問題である。

そこで、更に(3)の点について検討すると、まず、弁護人指摘の違法捜査のうち、強制採尿に直接関係するものについては、前記のとおり、捜査官は、強制採尿の必要性に関する判断を誤って、嫌がる被告人の抵抗を排除してこれを実施したが、右採尿の実施の際の実力行使自体については、これが、相当性の限度を越えたものであったとは認められない。次に、弁護人指摘のその余の違法捜査(すなわち、警察官が、一一日午前一0時すぎ頃、被告人の身体を数人がかりで担いで第一調室へ運んだとする点)の存否について検討するのに、右の点に関する被告人の供述は、極めて特異、かつ、具体的な事実関係を内容とし、しかも、ほぼ一貫しているのに対し、右事実の存否につき供述を求められた証人(警察官)Aは、弁護人の反対尋問に対し、「担いだのは記憶してません。」とか、「忘れました、その点」などとあいまいに応答し、そのような事実がなかった旨明確に断言することができなかった。そして、警察官が被疑者を取調室へ連行する際、被疑者を多勢で担ぎ上げて行くというようなことは、捜査の方法として通常行われることのない異常なものと考えられるから、もし警察官が、かかる方法をとったことに全く心当りがないとすれば、「そのような事実はない。」旨言下に明確に否定することができ、むしろそのように否定するのが当然であると思われるから、前記のようなあいまいな答弁をするのは、同人に何らかの心当りがあったからではないかとの疑いを生じてもやむを得ない(もっとも、同証人に対する右反対尋問は、被告人を強制採尿のため道場へ連行する際の方法に関してなされたものであって、同証人の右証言も、被告人が担いで連れていかれたと供述している午前中の第一取調室への連行の方法に関してなされたものではないが、同証人は、第一取調室への連行と道場への連行とのいずれにも関与しているものであるから、右二回の連行の方法を一瞬混同して答弁につまったと考える余地があるのであり、従って、右反対尋問の際の同証人の応答は、第一取調室への連行の方法の認定に関しても考慮に容れざるを得ない。また、前記A証人は、検察官の再主尋問に対し、「被告人を持ち上げて連れていったようなことはないと思う。」旨供述し、更に、その後尋問を受けた証人B及びCの両名は、第一取調室への連行方法について「被告人が左右に蛇行するような歩き方をするので、左右から支えて連れていっただけである。」旨供述するが、これらの証言によっては、被告人の供述及びA証人の反対尋問に対する応答により惹起された前記のような疑問を解消するに足りない。)。このようにみてくると、この点に関する被告人の前記供述は、あながちこれを虚構の弁解として排斥し去るわけにはいかないというべきである。従って、第一取調室への連行の際、警察官らは、房から出たがらない被告人を、数人がかりで担ぐようにして行ったと認めるほかはなく、かかる方法は、被疑者を取調室へ連行する方法として明らかに相当性を欠き、違法の評価を受けてもやむを得ないものである。

そうすると、本件捜査においては、(1)強制採尿に関する必要性の判断を誤って、嫌がる被告人の抵抗を排除して尿を採取した違法のほか、(2)取調室への連行の際、出頭を嫌がる被告人の身体を担ぎ上げるようにして、数人がかりで連行した違法が存することになるが、これらの違法捜査が行われた事実を量刑上どの程度考慮に容れるべきかにつき、次に検討する。一般に、刑罰権を実現する過程で被疑者に課せられる種々の不利益(未決勾留や取調べ等)は、それが適法なものである限り、被疑者において当然これを受忍しなければならないが、被疑者に受忍を求め得るのは、あくまで刑罰権を実現する上で必要不可欠なものとして法が許容した限度に止まると解すべきであって、右不利益が、本来法の予定する以上に著しい苦痛を被疑者に与えるものであったときは、被疑者がかかる苦痛を受けた事実は、広義の「犯行後の状況」の一つとして、ある程度量刑に反映されるべきものと考える。右のような見解に対しては、刑罰の量は、犯罪の違法性及びこれに対する被告人の有責性の程度等により決せられるべく、捜査の違法を量刑に反映させるのは不当であるとの反論も考えられないではないが、法定の手続に従い、被告人(被疑者)に対し本来受忍を求め得る限度での苦痛しか与えずに科される刑罰の量と、法定の手続を逸脱し、被告人(被疑者)に対し右の限度を超える著しい苦痛を与えた上で科される刑罰の量に一切差があってはならないというような見解は、社会の常識ないし正義感情に反し、到底採用し難いところである(ちなみに、違法捜査の場合ではないが、例えば、公訴の提起自体により被告人が公職を失ったり、社会的地位を失墜した場合のように、刑事手続の遂行により、被告人・被疑者が通常の場合と比べ著しい不利益を受けるときに、かかる不利益を量刑上ある程度考慮に容れ得ることは、一般に当然のことと考えられている。)。

そこで、右の見解に基づき本件について検討するのに、本件においてとられた右(1)(2)のような捜査方法の違法は、決してこれを軽視し得るものではない。特に、被疑者に対する強制採尿は、人間としての羞恥心を害し、被疑者に対し著しい屈辱感を与えるものであるから、その必要性に関する判断は、前記最高裁判例の趣旨にも照らし慎重に判断されるべきであったのに、本件においては、被疑者の容器への署名指印の拒否という事態に遭遇するや、捜査官は、そのことから直ちに強制採尿の必要性を肯定してしまったものであって、右判断は、前記判例の趣旨を正解しない、軽率なものであったといわざるを得ない。また、被疑者といえども、一個の人間としてその人格を尊重すべきは当然であって、嫌がる被疑者を数名がかりで担ぎ上げて取調室へ連行するようなことは、捜査官として厳に慎しむべきことである。しかし、他方、右のうち、まず、(2)の点については、それが被告人の人格的尊厳ないしプライドを傷つけるものではあったにしても、著しい肉体的苦痛を伴うものではなかったこと、被告人自信も、右連行に先だつ任意採尿の際には、自ら便所まで歩行しており、歩行能力がなかったとは考えられないのに、第一取調室への出頭を求められた際には自力で歩行しようとしなかったこと等の点を指摘することができ、また、(1)の点については、任意採尿に応じたのち、容器への署名押印を拒否した被告人の態度はいささか不可解であって、かかる不可解な態度が、捜査官による必要性判断の誤りの誘因となったこと、強制採尿の方法自体には、客観的にみて違法不当な点が見当らないこと等の点を、指摘することができる。

そして、本件が、既に詳細に説示したとおり、その罪質、手口・態様、被告人の前科前歴等の諸点に照らし、犯情悪質といわざるを得ず、通常であれば、相当長期間の実刑を免れ難い事案であることを前提として考えると、右に指摘したとおり、本件捜査の過程において、被告人の人格の尊厳を損うような違法な手段がとられたことを考慮に容れても、被告人に対しその刑の執行を猶予するのが相当であるとは認められないが、その刑期を定めるにあたっては、右の点をも相当程度考慮に容れる必要があると考えられる。

当裁判所は、右に指摘した点のほか、被告人の覚せい剤取締法違反の前科にかかる犯行が、いずれも一0年以上以前のものであり、最終刑の執行終了時からでも、七年以上を経過していること、被告人は、既に六五歳という高齢であり、服役に耐え得ない程ではないにしても、健康状態に不安もあること、被告人が、近年暴力団員として活動していた形跡は見当らないことなど、証拠によって認められる被告人のため斟酌すべき一切の情状をも考慮に容れ、主文の刑を量定した次第である(求刑懲役三年)。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官木谷 明)

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